誰からも好かれる人という読者の方はどういったイメージをお持ちでしょうか?
筆者は、これまで国内外の様々な企業を渡り歩く中で、実に様々な人と接する機会に恵まれてきましたが、「誰からも好かれる人」という存在は可能性としてゼロではないものの、実在した人を実際には見たことがありません。
確かに誰からも好かれそうなタイプの人だなぁと思って、その人の近しい人の10人程度に話を聞いてみると、その10人みんなに好かれている人という人はいました。
しかし、その範囲を広げて20人、30人と聞いていくと、仮にその大多数から好かれる人であったとしても、今度は、その中に”天邪鬼のような人”がいまして、「誰からも好かれていることが面白くない」という人がいたりします。
少数意見を挙げる人の回答としては、
「あの人は誰からも好かれるタイプだけど、八方美人だよね~」
「耳障りのいいことしか言わない人って感じ」
「なぜか、分からないけど、誰からも好かれる人って苦手」
といったところです。
いや、読者の方の中には、誰からも好かれる人というのは、あくまで例えで、本当に100人中100人みたいに誰からもパーフェクトに好かれる人のことはイメージしていないんですけど…という方、すいません(^^;)
ただ誰からも好かれる人と八方美人という視点で、「人に好かれやすい人」を考えてみますと、中々面白いことが分かります。
○誰からも好かれる人と八方美人
誰からも好かれる人っていうと、すごくプラスなイメージだと思うのですが、八方美人ってどうでしょうか?
八方美人の人って、あんまりいいイメージがないですよね…。
その境界線はどこにあるのでしょう?
そもそも、八方美人というと、語源は東西南北の何処を向いてもいい顔をしてるということを指しているとされ、誰にでもいい顔をしたり、媚を売ったり、顔色を伺ったりなんていうネガティブなイメージが強いです。
つまり、八方美人と人に思われる方は、周囲からはあまりいい風には思われていないってことになります。
一方、誰にでも好かれそうな人はどうでしょうか?
筆者のこれまでお会いした「誰にでも好かれそうな人」のタイプとして連想されるのは、「誠実そう」「紳士的、淑女」「爽やか」「笑顔が素敵」「物腰が柔らかい」といったところです。
筆者が感じる「誰にでも好かれそうなタイプの人」というのは、ある意味では、「人間がスゴク出来ている人」という人な感じがします。
ただ、八方美人と取られかねない要素がないかというとそこについては、自信がありません。
つまり、人によってはそう解釈する人がいるかもしれない…と思うからです。
人間には多かれ、少なかれ、心理学で言うところの、「自信過剰バイアス」が働いています。
自分の思い込みや、経験則を過剰に評価してしまうために、「出来過ぎている人」を見ると、「そんな聖人はいない」といった視点で見たりします。
つまり、自分がこんなに俗っぽいんだから、誰からも好かれそうなあの人も影では俗っぽいところがあるはずで、それを隠して、いい顔をしているのは、八方美人だというのです。
筆者は、この思考の流れには正直、賛成しかねますが、自信過剰バイアスにはさらに恐ろしい例がありました。
実際にあった話で(直接聞いた)、耳を疑うような話ですが、
その職場では同僚の女性が誰からも好かれるタイプの人で…その中の女性の一人が…
「私のほうが美人だし、もっと誰からも好かれるべき存在で、同僚の彼女が誰からも好かれているのは、おかしい」
筆者は目がテンになりました…。
自信過剰バイアスに加えて、聖書に出てくる7つの大罪のうちの一つの「嫉妬」です。
○誰からも好かれる人と嫉妬、ひがみ
筆者が、誰からも好かれる人が幻想であると思うのは、実は、「嫉妬やひがみ」です。
嫉妬やひがみという感情は、なかなか難しい感情です。誰からも好かれているということ自体を、その中の誰かから妬まれていると、それを修正するのは本当に大変です。
嫉妬をしている人は表向きは、周囲から好かれている人という理由で、心のなかでは面白くないと思っていても、無下な態度を取ることはしません。
ただ、心のなかでは、嫉妬心に燃えているので、誰かも好かれる人が「何かやらかさないか」「弱みはないか」を常に探ったりしています。
そして、それを見つけるとネガティブキャンペーンに終始したりします…。
一体、何のためにと思うかもしれませんが、嫉妬や僻みといった感情が生み出す負のパワーは恐ろしいです。
シェイクスピアの「オセロ」なんかを見ても、人種や国、歴史を超えて、人間の嫉妬や僻みという感情がいかに恐ろしいものであるかを思い知らされます。
【まとめ】
筆者は誰からも好かれるタイプの人という可能性は十分にあると思います。しかし、この世の人から嫉妬や僻みといった感情がなくならない限り、誰からも好かれる人という人は幻想であると思います。