好きな人のタイプは?と聞かれて、タイプは『誠実』な人と答える人をきっと一度は耳にしたことがあると思います。
『誠実』であるというのは、実は簡単なことではなく、貫き通すためには、強いハートが必要になります。
例えば、浮気をしない、約束を守るなどといったことから、勤めている会社へ法令遵守の精神で立ち向かったり、などといったことを長期間続けるということは容易なことではありません…。
出世のために…取引先に誘われて…仕事だから…という理由でプライベートな約束をキャンセルしたりするのが『誠実さ』を欠く行為であるなら、少なくないビジネスマンやウーマンは身におぼえがあるのではないでしょうか…。
日本人的な感覚からすれば、それはさすがに言い過ぎじゃ…となりますが、パートナーが外国人の場合、誠実さが足りないとなるかもしれません。
では誠実であるために、『事情』を洗いざらい何でも話し、伝えるのがいいのでしょうか?
個人的には賛成でもありますが、何でもというのは疑問です…。知る必要のないことを知ってしまい、知らない方がましだったということは、いくらでもあります。
誠実さを盾に過去の恋人遍歴などを必要以上に話しすぎたりするのは、逆に配慮が足りないとすら取られかねません…。
例え『誠実』と言えども、あくまで相手への配慮の上に成り立っていると考える方がいいかもしれません…。
では、好かれる人は「誠実さ」とはどのように向き合っているのでしょうか?
私の周囲にいる「誠実な人」と評される人には、以下のような特徴があります。
○責任感がある
○真面目
○恋人や配偶者に対して一途
ここまではよくある特徴ではないでしょうか。
私が、そうした中でも最も誠実な人は、
「自分に嘘をつかない人」
だと思っています。
自分に嘘をつき、嘘を重ねるというのは、実は最も辛く、後ろ向きなことが少なくありません。
本当のことは自分では分かっているが、世間体や周囲の目を気にしながら、自分に対して嘘をつく。
自分という存在を虚像に置き換え、一時の虚栄心を満たすために、その場をしのいでいく。処世術と言えば、それもある意味では一つの生き方かもしれませんが、自分に嘘をつき、生き続けていくというのは、大変な重荷を背負って生きていくことと同義です。
嘘を重ね、妥協を繰り返し、やがて綻びが生まれ、周囲の人間が不信を募らせていく。そうして辿り着く終着の地は、恐らく
「孤独の淵」
でしょう。
世界有数の資産家であり、優れた投資家でもあるウォーレンバフェットは、「幸せ」について下のように語っています。
「幸せとは、自分が愛する人に愛されること」
周囲の人に好かれ、愛される人は、孤独とは対極にある幸せな人には、普段から自分に嘘をつかない「誠実さ」を大事にしている人ではないでしょうか。