人が生きていくのに必要なことは、『健康と勇気、そしてわずかなお金』と語ったのは村上春樹でした。
しかし、現実には、その中でもお金がすべてであると思いこみ、お金に翻弄されて、人づきあいすらも損得勘定で考える人がいます。
損得勘定の対象となるのは、お金だけではなく、名誉のためだったり、保身のためだったり…。
では、なぜ損得勘定による人間関係が人の印象などに関わってくるのでしょうか。
様々な原因が考えられますが、その中の一つに心理学で有名な『損失効果』が考えられます。
実は心理学的には、損と得が人間に与える効果は平等ではなく、損が与えるダメージの方が大きいとされています。
誤解を恐れずに簡単な例をあげますと、百万円を手に入れるより、百万円を失う方が、感じ方としては『効果』が大きいということです。
これを人間関係にあてはめてみますと、少々乱暴ですが、仲のいい友人が一人できるのと、仲のいい友人一人に裏切られるのでは、裏切られる方が『ダメージ』は大きいということになります。
損得勘定での人間関係は、損か得かという点が判断基準になりますので、当人にとって不利益になると分かると、相手との関係からサッと身を引くことは珍しいことではありません。
突然、関係を解消された方にしてみると、『あの人は不利益になると分かると急に疎遠になった…。もしかして自分は都合のいいときだけ利用されていたのでは…』と考えるのも当然です。
その結果、仲がいいと思っていた人が実は損得で動く人であることが分かり、関係はもはや『失われ』てしまうことになるというわけです。
本当の友人や仲間は、仮に不利益を被ったとしても、苦しいときやピンチのときに手を差し延べてくれるものです。
損得勘定だけで人間関係を形成するのは印象を悪くする可能性があるだけでなく、関係そのものを失いかねないということはおぼえておいて『損』はないと思います…。
最後に身近な例からエピソードを一つ。
私が勤めたある上場企業で、その企業の幹部と、そこに出向で働きに来ていたオーナー系企業の御曹司は、共同でプロジェクトを立ち上げたり、「お金持ち同士」ということもあり、とても仲がよく、蜜月な関係を続けてきました。
しかし、御曹司の方が女性問題をきっかけに、会社で厳しい立場となったところ関係は一変。
企業幹部は、「火の粉」がかかるのを警戒して、知らぬ存ぜぬの1点ばりで、その御曹司をかばうどころか、さっさと身を引いてしまったのです。上司であるその幹部の監督責任が問われると思ったからです。
また、捨てられた形となった御曹司の方は、役職こそなかったものの、最後は幹部が助けてくれるものだと信じていたのに裏切られ、そのまま退職することになりました。
周囲も太鼓判を押すほど、仲がよかった2人も損得勘定の上に築かれた砂上の楼閣のような関係であることが分かり、結局、その幹部は打算的で利己的な人というレッテルを貼られて、周囲から嫌われることになってしまいました…。
それなりの歴史がある組織はある程度の規模以上になると、得てして様々な「ひずみ」が生じてきます。時にその原動力となるのが、損得勘定であったりすることが少なくありません。
あまり損得勘定にとらわれ過ぎるというのも考えモノではないかと思います。