偏見、先入観、思い込みは厳禁~人に好かれる話し方~

人類の歴史は、ある意味では、偏見や先入観、思い込みなどとの闘いであったと言っても過言ではないほど、偏見や先入観、思い込みがもたらす影響はすさまじいものがあります。

そして、それは、歴史上の話だけではなく、コミュニケーションにおいても非常に影響が大きいものです。

人は、思っていないことをなかなか口走るということはできません。代わりにその人の思想なり哲学なり、価値観は、会話の中で、どんなに隠そうとしても、滲み出てしまうものです。短期的には、”装う”ことはできても、長期的にその人の本質は必ずあぶり出てくるものです。

その中でも特に気をつけなければいけないものが、偏見、先入観、思い込みです。

膨大な情報がすごいスピードで様々なメディアを通して入ってくる現代の情報化社会では、その情報の質は玉石混合です。

人は自分が探し得た”特ダネ”は、真偽とは別に、信用しがちであることが心理学で実証されていますが、日本では一時期ほどではないにせよ、一方的に流されるテレビからの情報を鵜呑みにする人がブログなどでも散見されます。

例えば、アメリカでは占いなどをはじめとした非科学的な情報をテレビなどで提供する際は、かなり厳しい規制が敷かれていますが、日本では、占いはおろか、”やらせ”や偏見や極論の一方的なプロパガンダなどやりたい放題といった感があります。

経済学者が10年も20年も前に論破されているような見解を平気で、画面の前で専門家として話したり、政治学者が明らかに文献的にも、歴史的にもありえない見解を議論の機会すら与えることもなく、専門家として話したりなど、テレビに「え?!」って突っ込みを入れたくなってしまうことも少なくありません。

「テレビに出てくる専門家が言うんだから…」

そんな風に受け取る視聴者がまだまだ少なくないと思うからこそ、テレビというマスメディアとして、情報提供を行うからには、最低限の客観的な視点は持ち合わせて欲しいものです・・・。

話を戻しまして、テレビなどではなく、そうした偏見や先入観、思い込みに満ちた見解を日々のコミュニケーションで繰り広げられると、聞き手としては正直なところ、困惑される人がほとんどではないでしょうか。

ましてや、そういった偏見や先入観、思い込みに満ちた見解をマスメディアで得た人が普段のコミュニケーションで、その見解を披露し、得意げに語っているのは、周囲の人間としては困り果てるだけでなく、あきれてしまいます。場合によっては、柔軟性に欠ける人間として判断されるでしょう。

例えば、最近、こういった事例があります。なんて報道がテレビのちょっとした特集か何かであるとします。そうした例は、日本全体の動きからすれば、かなり極端な事例に過ぎないのに、まるで日本全体でそういった動きが見えてるように話す人がいます。

「テレビで見たんですけど、今、○○がめっちゃ流行っているらしいよ・・・」
「雑誌で読んだんですけど、今、○○がスゴイ人気あるらしいね・・・」

でも、話をよくよく聞いてみると、かなり小さな規模の話であったり、そもそも企業の記事広告だったりします。

つまり、広告の出向側が、さも自社の商品が大ヒットしたかのような演出として番組や記事を作っていたというわけです。

そして、それを真に受けて、得意げに大げさに受け止めてしまう視聴者…。

さらに、そういった偏った事例を、ビジネスの現場や会議に持ち込んでしまう人・・。

偏見や先入観、思い込みは、そうしたメディアからだけでなく、自分の経験上からはさらに強化されてしまいがちですので、注意が必要です。

自分が見たり聞いたり、自分が体験したことを客観的にフラットに見るというのは、自分を否定することにも繋がりますので、容易なことではありませんが、たまたま起こったあるいは特殊な条件化での「経験」ということもありますので、その経験が汎用性があるかどうかは分からないものです。

ですので、決して、自ら体験したことだからといって、偏見や先入観、思い込みとして過信や盲信し、それをさも正論かのように押し付けるのは、非常に危険です。

会話をする相手は、困惑し、特殊な条件での一つの事例にしか過ぎないのに、どうしてそんなに強く意見を主張するのだろうと思いますし、場合によっては、思い込みに固執した偏狭な人間というレッテルすら貼られかねません。

偏見、先入観、思い込みには十分、注意したいものです。

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